海の中の騒音問題

本稿は、STAFF(農林水産先端技術産業振興センター) newsletter, 13(8), 7に掲載されたものです


 年に一度の電気点検で、わが職場は一斉停電となる。明かりがつかないのは当然だが、それ以外にもなにかが足りない。普段は動いているパソコンやプリンタ、空調から発せられる騒音が全くなくなるのが、この違和感の原因だ。むやみに静かだと、かえって落ち着かない。停電の日は、日頃の自分がどれほど騒音に慣らされているか思い知ることになる。あまりの静かさに、人恋しくなって、用もないのについ隣の部屋にいきたくなる。
 かように騒々しい世の中に生きている我々だが、その騒音も度を超すと大きな問題になる。車、航空機、建設機械など、便利さと裏腹の騒音公害に、私たちはずいぶん長いことつきあわされてきた。しかし、この数十年間のうるさい現代社会で迷惑を被ってきたのは、なにも私たちだけではなさそうだ。おそらく、クジラも一言文句をいいたいだろう。
 困ったことに、音波は水の表面でほぼ全反射される。ということは、クジラがいる海中でどれほど騒音が発生しようと、人間にはほとんどわからない。まして、広い海の中だ。騒音問題があることなど、これまで誰も気にもとめなかった。
 だが、海の中の騒音は着実に増加している。カリフォルニア沖に沈められた、水中マイクロホンを使って、1960年代と90年代の騒音レベルを比較した仕事がある(Andrew et al. 2002, Acoustics Research Letters Online 2(1), 65-70)。その報告によれば、一秒間に数百回までの周波数の領域で、音圧にして約3倍の顕著な増加が認められた。もし、産業革命以前の海中騒音をモニタしていたら、さらにずっと静かだったのではないだろうか。
 石油、ガス、食材から衣類、家電製品まで、あらゆるモノが世界から集められ、また散っていく。それを支えているのが海運である。船の巨大なエンジンから放射される音波は、数十から数百Hzの周波数で、上述の騒音増加の主要な原因と考えられる。ザトウクジラの声を録音するために小笠原の父島沖で水中マイクロホンを垂らしていたときのことだ。どこからともなく「ゴロンゴロン」というエンジン音が聞こえてきた。ぶつかってはいけないとあたりを見回したが、なにもない。さらに、よーく水平線に目をこらすと、豆粒のような貨物船が見えた。船の上つまり空気中で耳を澄ませても、その船の騒音は全く聞こえないのに、水中ではよく聞こえるのだ。
 カリフォルニア大のCrollらは、ナガスクジラの声を録音し、同時にバイオプシーを行った。その結果、雄のみが鳴いていることが明らかになった(Nature 417, 809)。雌雄差がはっきりしていることから、この声は、繁殖にかかわる重要な信号であることが示唆される。有名なザトウクジラの歌をはじめ、他の多くのヒゲクジラも、繁殖期に鳴くことが知られている。それらの声は、どれも数十Hzから数百Hzであり、不幸なことに船舶騒音の周波数帯域とほぼ一致する。
 もし、船の騒音のせいで、雄の声が雌にうまく伝わらなくなったら、クジラはさぞ迷惑だろう。十分に広い範囲に、自分の歌が届かなくなり、出会えるチャンスが減ってしまうかもしれない。その結果、クジラの繁殖に影響がでないとも限らない。騒々しい世の中にいる我々もなんとか生き延びているので、クジラもそうであってほしいが、音による情報伝達に多くを依存しているイルカやクジラの騒音問題は、人間以上に深刻かもしれない。


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