本稿は日本音響学会誌, 52(7), 523-528に掲載されたものです
1.はじめに
海洋の生態系の最上位に位置する鯨類は、さまざまな鳴音を発する生物としても知られている。彼らの聴覚や鳴音については、鳥やコウモリなどの陸上動物ほどではないが研究が進んでおり、とくにその生物ソナー能力であるエコーロケーションに関しては比較的精密な実験が行われている。
鯨類は大きくハ(歯)クジラ類とヒゲ(髭)クジラ類に分けることができる。いわゆるイルカとは体長約4m以下のハクジラのことであるが、ハクジラのなかには体長8mにも達するシャチのような種類もいる。一方ヒゲクジラはみな大型で、現在地球上最大の生物であるシロナガスクジラもこの仲間だ。動物プランクトンという豊富な蛋白源に依存しているヒゲクジラが大型で、餌を濾しとるクジラヒゲを持っているのに対し、魚を追いかける必要があるイルカが小型で歯を持っていることは理にかなっている。
鯨類はそれぞれの持続的な生存のため、その形態だけでなく聴覚器官の構造やエコーロケーションに使用する超音波パルスのビーム形成機構など音響的なハードウエアも進化させてきた。また、使用する鳴音の音響特性や変調方法などにも、自然淘汰によると思われる数々の工夫が施されている。
本稿ではイルカのエコーロケーションを軸に、大型のヒゲクジラ類も含めた聴覚や鳴音の特性とその機能的な役割について解説する。
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2.イルカの聴覚
イルカの聴覚の受信特性は図−1に示すように高い周波数に適応している1)。どの種も数十kHzの超音波領域でもっとも感度が良い。
イルカの目の後ろの部分をよく見ると小さな点状の耳の穴あるが、外耳道は耳垢で完全にふさがれている。イルカは水中で抵抗力を受ける耳たぶを捨て、下顎の両側面から水中音を聴いていると考えられている。この仮説は、Bullockらの実験2)によって支持されている。彼らはイルカの頭部の様々な場所に局部的に音波をあて、電気生理的な手法でその聴覚感度を調べたところ、外耳道の周辺部分では感度が鈍く下顎の側面での感度がよいことを明らかにした。
イルカの下顎から入った音は脂肪層を通じて鼓膜に伝えられる。イルカの中耳と内耳は一塊となって頭蓋骨から遊離しており、自身の鳴音の振動が頭蓋を通して内耳に直接及ぶのを防いでいる3)。また、左右の内耳が独立して振動できるため音源定位にも都合がよい。
哺乳動物であるイルカの内耳の構造は基本的にはヒトと似ている。イルカの前庭膜は蝸牛殻につながっており、蝸牛殻の中には基底膜が渦を巻いて収まっている。音波はここで周波数分析され、有毛細胞で神経インパルスに変換される。鯨類の内耳においては、基底膜の厚さと幅の比のとりうる範囲がその可聴周波数範囲に関係していることが知られている。すなわち基底膜が厚く幅が狭い部分ほど高い周波数に共振し、薄くて幅が広いほど低い周波数に共振する。Ketten4)によれば鯨類の内耳の構造はその鯨種の発生する音波の周波数特性に関係している。沿岸域に主な生息域をもつネズミイルカや濁った大河に住むアマゾンカワイルカでは蝸牛殻内の基底膜は100kHz前後の高周波に適応した構造で、沖合いから外洋に生息するマイルカなどは高周波から低周波まで広帯域に適応している。ザトウクジラやナガスクジラは数kHz以下の低周波に適応した幅が広く薄い基底膜をもっている。
3.イルカの鳴音
イルカの鳴音は継続時間が数十〜数百μs程度で広帯域のスペクトルをもつパルス鳴音と、継続時間が数百ms以上で狭帯域の連続鳴音に大別される。他にも、うなり声(growl)、ギリギリ声(rasp)、キーキー声(grate)、にゃーにゃー声(mew)などあるが、これらはパルス鳴音の一種であると思われる。パルス鳴音のなかでも周波数が高くパルス幅が短いものをクリックスと呼ぶ。また、口笛のように聴こえるイルカの連続鳴音はホイッスルと名付けられている。

エコーロケーションに使用されているのはクリックスである。クリックスの周波数はネズミイルカやその近縁種のスナメリで130kHz前後、バンドウイルカで110kHz〜130kHzである。イルカのホイッスルは、クリックスに比べ長時間継続し(図−2)、周波数変調されていることも多い。バンドウイルカの場合1kHz〜24kHzであり近縁種のホイッスルも同様の周波数範囲である。大型のヒゲクジラの鳴音にはMoansと呼ばれるやはり周波数帯域幅の狭い連続音があり、その周波数は20Hz〜数百Hzと低い。なお、ネズミイルカやスナメリなどのネズミイルカ科は低周波鳴音であるホイッスルを発しない。
ホイッスルやクリックスの発音部位としては喉頭を支持する説と鼻道の途中にある気嚢を支持する説がある。ただ、クリックスの音源に関しては気嚢を支持する結果が多い。イルカのパルス音の音源とされる噴気口下部の気嚢の前方にはメロンと呼ばれる脂肪組織があり、後方には頭蓋骨がある。メロンは油を豊富に含んだ脂肪組織である。この組織は下顎から中耳につながる脂肪と同様で音響脂肪ともいわれ、音響エネルギーの減衰が小さい。NorrisとHarvey5)によれば、メロンは中心部から外縁部にかけて音速が大きくなるため音響的なレンズの役割を果たすと考えられている。
また、気嚢後方にある頭蓋骨や前庭嚢などの反射体もクリックスを集束させる効果があることが示されている(図−3)6)。これらの機構のためイルカは、指向角20°で前方へ効率的にクリックスを放射することができる7)。
4.周波数チャネルの選択
さて、沿岸から比較的沖合いに生息するバンドウイルカやマイルカなどは高周波のクリックスと低周波のホイッスルの双方を発することができるが、沿岸域に生息するネズミイルカやスナメリはクリックスしかもたない。また、大型のヒゲクジラはパルス鳴音を発するものもいるが特徴的なのは数十Hzという非常に低い周波数の鳴音である。イルカにとってはクリックスが必修科目で、ヒゲクジラにとっては低周波鳴音を発することができなければ落第なのだろうか。
生物の行動圏の広さはほぼ体重に比例すると言われているが8)、行動圏が広がるにつれ同種個体間の通信の必要性も増すと考えられる。なぜなら、群れ形成や繁殖のため再び出会う必要があるからだ。数十mも離れれば見通しが効かない水中においては、音波が互いの位置確認を行うのに有効な手段である。イルカの鳴音による他個体との通信可能距離はその周波数と音源音圧及び聴覚感度から推定できる。
一例として、バンドウイルカが雑音の少ない環境中で同種の他の個体のホイッスルを聴くことができる最大距離を畠山ら9)の方法を参考にして試算してみると、互いの認知可能最大距離は14kmと推定される。(ホイッスルの周波数を10kHz、音源レベルを170dB re 1μPa、10kHzでの吸収減衰を2.2dB/km、聴覚閾値を58dBとした。)
ネズミイルカのクリックスでも相手の存在の認知は可能であろう。実際、クリックスにはエコーロケーション以外の機能があることを示唆する結果もある10)。クリックスのような短いパルス幅に対する聴覚閾値の補正を行うと11)、その最大認知可能距離は770mと推定される。周波数が高い分だけ吸収減衰が大きいこともあり、ホイッスルほど遠くまで届かない。これがナガスクジラの鳴音の場合、20Hzという低周波であるため12)到達距離は控えめに見積もって500kmである。もっとも巨大なヒゲクジラの聴覚閾値は測られたことがないため、ここではイルカの値を流用した。
体長体重とも人間の女性程度と小型のネズミイルカの主な生息域は沿岸よりである。従って、ネズミイルカは外洋へ遠く泳いでいくことは少ないと考えられる。ネズミイルカにとっては同種の個体は近くにいることが多いだろう。彼らが高い周波数の鳴音とそれに適応した聴覚を有していることも、遠距離通信の必要性が少ないためではないだろうか。
一方、体重200kgと大型のバンドウイルカは、クリックスとホイッスルの両方を発し聴覚特性も広帯域である。彼らは捕食のためのエコーロケーションと、沖合いでの回遊や群れ形成のための通信手段としてのホイッスルの双方を使い分ける必要があるのかもしれない。
体重が10トンを越え、数千kmも離れた採餌域と繁殖域の間を往復することが多いヒゲクジラでは事情が異なる。一度離れた個体同士が再び出会うためには何らかの遠距離通信手段を有しているか、さもなければ海底地形などを覚えていて正確な時刻にそこを訪れるしかない。個々の魚を追いかける必要のないヒゲクジラは超音波パルスを必要とするエコーロケーションの代わりに、到達距離の長い低周波鳴音を選択したのではないだろうか。
すでに多くの動物で、体重と代謝率などにスケーリングが成り立っていることが知られている13)。非常に粗い近似ではあるが、いくつかの鯨種を比較するとその体重14)と連続鳴音の周波数15)にも逆の相関関係があるように見える(図−4)。大きなクジラほど地球は狭くなり、それにあわせた吸収減衰の少ない通信チャネルを使用しているように見える。
なお、本来ならば縦軸は鳴音の認知可能最大距離で表すべきだが、現段階で推測可能な種が限られているため、吸収減衰の指標となる鳴音の周波数で代用した。
5.エコーロケーション能力と使用戦略
エコーロケーション能力をもつことが確認されている鯨類は今のところハクジラだけである。
イルカはエコーロケーションで物体の有無だけでなく、大きさや厚さ、材質や形なども見分けることができる。訓練を施したバンドウイルカは、直径7.6cmの金属球殻の存在を100m以上の距離から認知することができる。音響的な物体の大きさすなわちターゲットストレングスの識別は、1〜2dBの差違で可能である。厚みのある物体では、表面と裏側からの2つの反射波の到達時間差に伴って生じるタイムセパレーションピッチでその奥行きを認知していると考えられている。例えばバンドウイルカは、円筒形物体の厚みの差違を0.3mm程度まで検出できることが知られている。2つの物体の形が全く同じでも、材質が異なると音波の透過率や反射強度も違ってくる。バンドウイルカはこの反射波の構造の違いを検出し、アルミニウムとサンゴ石をほぼ100%の確率で識別できる。これらの結果はAu16)により詳細にレビューされているが、最近でも中原らがスナメリを用いて鉄とアクリルや真鍮の区別が可能であることを示している17)。
イルカのエコーロケーション能力はすばらしいが、実は人間もイルカと同程度のエコーロケーション能力を持っているらしい。イルカによる判別実験で使用した物体からの超音波反射音をゆっくり再生して人間に聴かせると、人によってはイルカより良い識別率で円筒と球の違いを「聴き分ける」ことができた18)。被験者によれば中空の円筒物体の場合は高いピッチの音が聴こえ、球体の場合は大きくて低い音が聴こえたそうである。音波の情報処理においては人間もイルカなみに優れていることを示す例といえるのではないだろうか。
バンドウイルカが最大音圧でクリックスを発生すると、瞬間的には1kWの仕事率になる。普通の野生生物は無駄なエネルギーは使用しない。イルカもさまざまな方法でエコーロケーションの使い方を工夫している。
イルカは背景雑音レベルによってクリックスの音圧を調節していると考えられている。判別すべき物体が遠いところにある場合も、SN比の減少を補うほどではないがイルカはクリックスの音源音圧を増大させる19)。また、イルカは物体からの反射波が返ってくるまで次のパルスを発射しないように調節している20)。クリックスの各パルスの混信を防ぐためであろうか。
さらに、イルカはエコーロケーションの使用状況も細かく調節している。筆者らはネズミイルカに水中マイクロホンを装着し、クリックスの発生時刻を観察できるテレメトリーシステムを開発した21)。その結果、ネズミイルカは多いときでは1分間に25回もエコーロケーションを使用したが、数分間まったく使用しない場合もあることがわかった。イルカは無駄なエコーロケーションを行わず、時々あたりを見回すのをさぼっているようだ。
6.識別信号としての鳴音
鯨類の鳴音におけるエコーロケーション以外の機能としては、個体あるいは群れの識別信号としての役割が挙げられる。識別のカギとなるのはクジラ・イルカとも周波数変調パターンが多く、イルカの場合はシグネチャーホイッスル、クジラの場合はソングなどと呼ばれている。
シグネチャーホイッスルはその名のとおり署名のような鳴音で、フロリダのバンドウイルカの長期観察例では12年もの間そのソナグラムのパターンが変わらないことが報告されている22)。また、雄の子供のシグネチャーホイッスルは母親に似ているが、雌は母親と異なっていることも観察されており、イルカの母系社会における雄と雌役割の違いを反映していると考えられている。オーストラリアの野生のバンドウイルカの観察例でも、母子間の距離が大きくなるほどシグネチャーホイッスルの数が増加することが観察されている23)。シグネチャーホイッスルは個体間とくに母子間の結合に役立っていると思われる。
音声が群れの識別に使われていると考えられているもう一つの代表的な種はザトウクジラである。Payneはザトウクジラがソングと呼ばれる規則的な鳴音を発することを報告した24)。ソングは音楽で言えば楽章のようなテーマで構成されており、テーマはさらに小さなフレーズに分かれ、フレーズはユニットとよばれる決まったパターンの鳴音の繰り返しで構成されている。ザトウクジラのソングはまさに音符や小節からなる「歌」である。 ザトウクジラのソングには方言があることが知られている。例えば、オーストラリアの西と東ではソングが異なるが、この差違は繁殖群の違いとも整合している25)。太平洋のザトウクジラのソングにおいても、日本、ハワイ、メキシコでは6〜7のテーマがあり、各地域で異なっている26)。だが3地域共通なテーマも3つあり、1年間の回遊の周期のなかで3地域のザトウクジラは何らかの音響的な相互作用があると考えられている。
鯨類は、繁殖において遺伝子をコピーするように、その鳴音パターンも繁殖群の中で受け継いでいくようである。ただし音声のコピーは生殖系列とは直接的には無縁であり、その変化や拡散も一世代で起こりうる。
高周波のクリックスも識別信号としての役割を持っているらしい27)。但し、これはイルカではなく大型のマッコウクジラの話である。マッコウクジラのCodaと名付けられた鳴音のパルス列は、このごろどんな商品にもついているバーコードのようにそのパルス間隔が不規則で、その長短の構造が個体毎に異なっている。
視覚の効かない海中において鯨類は、その鳴音を互いの認識手段として有効に活用していると思われる。
7.おわりに
イルカやクジラは哺乳動物に許される設計範囲で聴覚や鳴音発生能力を進化させてきた。現存の鯨類はそれぞれの生存にとってできるだけ適応的に音響情報を利用しているはずである。本稿ではこの仮定を主要な足がかりとし、かなり単純化したストーリーで鯨類の鳴音と聴覚について解説した。実際のところ多くの実験観察結果に例外があり、細かいところに正確を期そうとすれば、ここで述べた筆者の解釈のある部分はずいぶん飛躍していると言わざるをえない。しかし今後さらに研究をすすめていけば、当たらずとも遠からじの結論が得られることを期待している。
文献
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